45歳独身女の独白

「ブログを書く時間がない」という理由で会社を辞めた45歳独身女の独り言

哲学酒場放浪~横浜・野毛~

意のままに

桜木町。18:00。

この場所、この時間に仕事が終わった。

特段、狙ったわけではない。

作為でないとしたら、もう天の配剤と呼ぶしかないだろう。

道はひとつ。

 

野毛。

野毛一択である。

 

われただ天意に身を捧ぐのみ。

 

なんてことはさておき、とにかく歩きに歩いたし、喉が乾いた。体があの浅草•墨田川沿いに聳え立つ金に煌めく建物が意図した飲み物を求めている。 

 

要するに麦酒、ビールである。

 

JR桜木町駅南改札前を横切り、エスカレーターを降りて「野毛ちかみち」をゆく。

 

地上に出れば黄昏時にして、飲み屋の明かりが道ゆく人を誘う。

界隈を軽やかにそぞろ歩く。

 

野毛は言わずもがな、

酒場の密集地帯である。

 

まったくいつから飲んでいるのだろうか。

もう既に多くの酔客がそこかしこで酒宴を繰り広げている。

 

いったいどんな仕事をすればこんな早くから飲めるのだろう。ひとりひとりにその職業と階級を聞いてみたいものである。仕事中にこの光景をみかけると、そんな不思議な気持ちと羨ましさでいっぱいになる。

 

今日はちょっとだけその仲間入りができた気がして、さらに軽快に進みゆく。すると。

 

るんるんした足取りが急に止まった。

 

愕然とした。

 

しばし立ち尽くした。

 

ジャズ喫茶「ちぐさ」が跡形もなく、

更地になっていた。

ちぐさ跡地

3年前に一度だけ来たことがある、昭和8年創業の老舗のジャズ喫茶。

 

女性1人で来るのは珍しいと、店主が手厚くもてなしてくれたのを覚えている。

 

特に足繁く通った常連ではないが、

昭和の喫茶店それも希少性の高いジャズ喫茶がなくなるということにやり切れない気持ちになる。

 

調べたところ、創業90年になる2023年に博物館とライブハウス機能を備えた「ジャズミュージアム•ちぐさ」に生まれ変わるのだそうだ。(ヨコハマ経済新聞 2022.2.15)

 

かなり近代的な建物になる様子である。

 

時を経たことが一目でわかる味のある建物が好きな私としては切ない気持ちでいっぱいだが、時代の流れには抗えない。

 

哀れさを感じつつも、気を取り直して再び歩く。

直感を研ぎ澄ませよ~店の選定~

18時で開店まもないのか、あるいはその他の事情か、客が全くいない店もあれば、そこそこ入っている店、賑わいのある店とさまざまな様相を呈する野毛。

 

そんな中でもひときわ威勢のいい声が通行人をひきつけ、店内の活況が路上に漏れるのを抑えきれない店があった。「串兵衛」という屋号からして串焼きを専門とする店であることがわかる。

 

「ちぐさ」の衝撃以来の足取りで立ち止まり、店先のメニュー表を覗き込み、改めて店内の様子を伺う。そうこうしているうちに店員さんから声をかけられそうなので、とりあえず様子見で一旦やり過ごす。

 

角をまがり、ほかの店も覗いてはみるけど、あの威勢のいい声と楽しげな店内の雰囲気が脳裏に焼き付いて離れない。

 

結局、そのブロックを四角く一周してまた「串兵衛」の前にたどり着いた。

 

よし。今日はここに決まりっ!

 

期待通りの声でお出迎え。

 

いい酒場の持論を展開してもいいですかね?

 

まあ、とりあえず席に座ろう。

と、入ってすぐのカウンター角の席に腰を下ろす。

 

いい酒場の条件。

それはお店の人の「声」である。

 

通る声。

一声が弓矢のごとく店の端から端まで届く声。

広沢虎造清水次郎長伝ばりに威勢のいい声。

 

この声が飛び交うのを背景にして飲む酒が美味いのである。

 

この声はどんなに大きくても邪魔になることはない。例えば2人客の会話を遮るような不粋なことはしないのである。

 

そして、1人飲みにとってはまるで心地良いBGMを聴いているかのように思考の邪魔をしない。集中力を途切れさせない優しさすら感じるのだ。

 

わたしは名酒場の条件にまず「声」をあげる。声がもう既に「名店」なのである。

 

なんてことを考えながら、とりあえずも何もない「生」一択である。

 

「はい生です〜」と早い。

 

酒が飲める飲めるぞ〜酒が飲めるぞ〜♪

 

と歌ができるのもわかるくらいに最初のひと口が堪えられない美味さである。

 

左側のついたての向こうには年50〜60歳くらいの2人連れの男性客が仕事や家族の話をしている。

 

右側のカウンターを90°曲がったついたての先には若いカップルがいるが、1人で飲んでるの?と思うくらい会話が聞こえない。話している様子がない。

 

その間にも2人客、3人客、予約の宴会客など続々と入ってきて賑わいMAXの店内。

 

ぼんじり

ハツ

かしら

牛もつ煮込み

 

を注文する。

 

目の前にガラスの冷蔵ケースがあり、仕込み串の山が放つ美しい色彩が、活きのよさを静かに伝える。

ひと串の一つ一つの旨味と弾力を、瞳を閉じて味わう。もうこれは命と命のやりとりであり、儀式である。旨味と歯ごたえの違いを楽しみながら感謝していただく。

ミニトマトと豚バラ肉の美しさ

冷蔵のガラスケースの中に、豚バラ肉のうす皮をまとったミニトマトが3つ、竹串に貫かれて嬉々として銀のトレイに積まれている。

 

真紅のツヤ肌に緋色の浴衣をまとってうふふ♪とこちらを伺う佇まいが艶めかしい。

 

きれいだな。

 

かわいいな。

 

あ。この人生もいつか終わるんだな。

 

と喧騒の中、ミニトマトの肉巻き串の山を見ながら、

この楽しい光景にも終わりが来ることを思った。

 

いつか見れなくなる。

 

いつか聞こえなくなる。

 

そして、このカウンター席に座るわたしも、隣りの男性客も静かな若いカップルもこの世から消える。

 

いくつかの恋を終わらせてきたし、

いくつか仕事を変えたりもした。

 

でも人生は続いている。

 

まだ死なずに生きている。

 

そしてしばらくは続くのだ。

 

わたしは人生に何かを求められている。

 

誰も何もわたしに求めたりしないが、わたしの人生だけはわたしに求め続ける。

 

この命の燃やし方を。

 

野毛にきたらまたこの店の前を通るだろう。

 

威勢のいい声に誘われて、

ミニトマトと豚バラ肉の美しさに目を奪われながらカウンターの席に座り、

「熱いのでお気を付けください」とお店の人に心配されながら焼きたてのミニトマトの肉巻きをおそるおそる頬張るだろう。

 

命の燃やし方を、

たぶんここに学びに来るだろう。