45歳独身女の独白

「ブログを書く時間がない」という理由で会社を辞めた45歳独身女の独り言

小説酒場放浪〜新橋・ニューニコニコ~

新橋。1730

本屋営業パラドックス

営業は野球に似ていると思うときがある。

 

打たれてからの、つまり断られてからの心の在りようでその後の展開が変わる。奇跡も起こる。

 

得てして思わぬ展開が待っていることが多い。

 

品川のB書店で福地さんに会う。

 

福地さんらしき人は先客と対応中だったので、対応が終わりバックヤードに戻ったのを見計らい、レジの女性に声がけする。

 

「出版社Kブックスの小池と申します。福地さんはいらっしゃいますか?」

「今日はご予約はしてますか」

「はい、15時から」

「少々お待ちください」

 

と言ってレジの女性が奥のバックヤードに通じる扉を開け、中にいる人に要件を伝える。やはり先ほど先客の対応をしていたのが福地さんのようだ。

 

すぐに青いエプロンを身につけた背の高い男性が出てきた。

 

挨拶をし、訪問の趣旨を伝える。

 

話をしている時からやや体を斜め後ろに反り気味にして訝しげな視線を送っていた福地さんは、その表現した通りの言葉を次いだ。

 

「基本、取り引き実績のない出版社との契約はお断りしてるんですよ。他店で取り引きがあれば、他店での売れ行きなども見てから判断させていただきますが、こう言っちゃなんですけど、売れるかどうかもわからないものを仕入れることはできませんから

 

ごもっともである。

 

福地さんの言葉が至極当然のような気がした。

 

と同時に、福地よ少しノリが悪いぞとも思った。

 

まあこういう時は無理強いをせず、相手の意向を受けて引き、機を改めることにする。品川の通行量の多い立地であるから、ただでさえ福地さんは忙しいのだ。

 

「お忙しい中お時間をとっていただきありがとうございました。福地さんのご意向を伺えてよかったです」

 

福地さんはまた先程のバックヤードに消えていった。

 

出鼻をくじかれ鼻先がつーんとした。3秒ほど虚空を見ながら、しかしすでにこころは隣の大崎に向かっていた。

 

この大崎から新橋までの3書店は、アポなしの飛び込みながらも運良く店長または仕入れの担当と会うことができ、全員が快くこちらの趣旨を受け入れてくれ、店頭での面展開の約束を取り交わしてくれた。  

 

先のことはわからないものだ。初見アポなしはリスクが多く、とりあってくれない確率が高いと言われていたが、そこを押して行ってみたら、思わぬ展開を引き寄せることができた。

 

引き際よく、あとを引かずに次に行けば、その逆もまた真なりという新たな展開を引き寄せる。これぞ「引き寄せの美学」。

 

と、よろしく着地が決まったところで、ここは新橋。自然、足がSL広場方面へと向かう。

 

そして吸い込まれていくように入っていくのが、その幾何学的なファザードがここが新橋であることを知らせてくれる1971年創業の「ニューしんばしビル」である。

憩いの地下街で読む「おいしいごはん」

なんなんだろう。

たぶん「郷愁」なのかもしれない。

無性にワクワクするのだ。

 

ニュートーキョー、ニューオータニ、ニューグランド、ニュー岡部。

 

だいたいにして名前に「ニュー」がつくものが実際において「ニュー」であったことはなく、そのどれもが隠しきれない郷愁・哀愁を漂わせている。

 

この建物は、わたしが大学生のころから出入りしていた。

 

その頃、このビルにテナントとして入っていたフラメンコ教室に通っていたことがある。

 

当時フラメンコにも興味があったのだが、それ以上にこのニューしんばしビルに興味があり、ここのフラメンコ教室ならば定期的にニューしんばしビルに来ることができるのが、教室を選ぶうえでの決定打となった。

 

正面の入り口を入ってすぐ右にあるエスカレーターを地下へと降りてゆく。

 

【憩いの地下街】というキャッチフレーズがお出迎えをしてくれる。この言葉が、半世紀の間、どれだけ多くのサラリーマンのネクタイを緩め、緊張をほどいてきたことだろう。

 

地下フロアは、居酒屋をはじめ、バー、中華料理店、カレー屋、ラーメン屋、牛カツ屋、チャーハン屋、寿司屋、餃子屋、洋食屋、茶店、ゲームセンターなどが軒を連ね、ひしめき合っている。

 

それぞれの店内の様子を覗きながら徘徊するのも楽しい【憩いの地下街】。

 

わたしは、おそらくエスカレーターを降りる段階から9割がたは決めていた店「ニューニコニコ」の暖簾をくぐった。

 

ニューニコニコ。

 

まず、屋号がいい。ニコニコ。いつの時代も笑顔が人を癒し、憩いの場をつくってきた。

 

そして屋号に「ニュー」がつく店がわたしの期待を裏切ったことはかつて一度もない。

 

午前11時から営業している居酒屋である。

禿頭・白髪率が高い。

 

入ってすぐ右の小上がりには常連と思われる、禿頭・白髪がそれぞれ5割のバランスをキープしている快活な男性客が焼き場専任の女将さんと仲良く話しながら大相撲中継見ている。

 

この店は焼きものがいい。

なにせ柔和な笑顔が可憐な女将さんが50年間この焼き場を守っているのだ。

 

生ビールとサバの塩焼きを注文する。

 

隣の席の男性客はマグロの中落ちをつまみながら視線を真下に落とし、週刊誌の漫画を読むことに余念がない。

 

生ビールがくる。

焼き場の女将さんが、丁寧にサバを焼いてくれている。

 

大相撲中継も終盤にさしかかり、勝敗が決まるたびに店内に小さな響めきが起きる。

 

わたしはビールで喉を潤しつつ、全国の書店の文芸部門で軒並みランクインしている高瀬隼子「おいしいごはんが食べられますように」の続きを読み始める。

「二谷」と一杯

これほどまでにカップラーメンが美味そうに描かれている小説もない。そして、これほどまでにカップラーメン以外の食べ物がまずそうに描かれている小説も珍しい。

 

何の因縁か、二谷は食に対して、そして女に対して根本的な「怒り」を抱いている。

 

弱者が勝者であり、強者が敗者であるという、現実生活におけるパラドックスが二谷、芦川、押尾の三角関係を中心に職場、酒場、二谷の家などで展開されている物語である。

 

じっくり時間をかけて焼かれたサバの塩焼きを女将さんが運んできてくれた。

 

香ばしくパリッと焼き上げられたサバを一切れ、噛み締めるほどにじゅわっと旨味と滋味が五臓六腑にしみ渡る。

 

大相撲中継は、結びの一番である大関貴景勝関脇豊昇龍戦が始まろうとしていて、話し込んでいた4人組も、一人の客も、小上がりのおじさんも女将さんも皆、視線が同じ方向に集まりはじめた。

 

「浴びせ倒し」という聞きなれない技で貴景勝に土がついた瞬間、店の全員が思わずその逆説的な展開に「あ!」と声をあげた。

 

店全体が一体となった瞬間だった。

 

少し時が止まったかのように思えたのも束の間、次の瞬間にはそれぞれが自分のしていた事に戻って行った

 

結局、最後に勝つのは弱者に見せかけた真の強者か。

 

そして二谷よ。お前はいったい何がしたいんや。煮えきらない奴だ。お前はもう「にちゃに」だ。

 

不本意な職場と不本意な女の間でにちゃつくのもいいが、そろそろまっとうに文芸に生きたらどうだ。

 

食うに困りたくないから経済学部を選んだが、本心は文芸だろ。

 

ただ、どんなに「にちゃに」が煮えきらなくても、結局最後は芦川が勝つに決まってる。

 

芦川には誰も勝てん。

芦川最強説。

 

と、新橋「ニューニコニコ」で架空の登場人物である二谷を相手に絡んでしまうくらいユニークな一冊だった。