小説心中〜宇佐見りん「推し、燃ゆ」~
呪縛を解くドトールコーヒー
8:30。富士見台駅。
胃が重い。前頭葉も重い。
普段は意識しない内蔵の、所在と重さをやけに感じる朝である。
駅の上りエスカレーターの途中、「これが脂肪1キログラムです」とにこやかに乳白色の塊を持つ男性の写真に胃がゔッぷと反応した。
いま、それと同じような白いものが、頭頂部あたりに停滞し、運動機能全般を鈍らせている。
昨夜、予定外の焼肉屋で、琥珀色をした、躍る炭酸が楽しげな飲み物、
ゆらゆらと漂うように自動改札を出る。
胃の指令に基づき、改札を出てすぐのドトールに入り、
程よい苦味の、褐色の液体が、頭頂部に停滞する乳白色の塊を、
内蔵はよく働いてくれる。毎日休みなく。
ひとまず惰眠はそんな優秀な内蔵へのねぎらいということにしよう。
読みかけの宇佐見りん「推し、燃ゆ」を読む。
天才小説家、宇佐見りん
この世にどれだけの天才が存在するのか、考えたこともないが、
もはや現実の住人が描く小説ではなく、
昨年話題になった小説だが、まったく張ってなかったので、存在はうっすら認識はしていたものの、手に取ることはなかった。それが今になって飛び込んできた。
書き出しでもう震撼した。
読み始めたら最後、魂を鷲掴みにされたまま、
もう四十路半ばとなるのに体が記憶している、青春の匂いと風景。
教室の窓、冬のストーブ、廊下の足音、上履きの汚れ、
ふと、大学生の頃に読んでいた、坂口安吾の「暗い青春・魔の退屈」という短編小説集を思い出した。その短編集に対するわたしの愛着は異常な程で、当時、表紙カバーの折り目が破れ落ち、とれた破片を栞がわりに挟んでなお持ち歩くほど、破壊的・
なにも太平洋戦争が青春を暗くしていたのではない。
"肉体は重い。水を撥ね上げる脚も、
"勝手に与えられた動物としての役割みたいなものが重くのし掛か
なべて青春というのは、誰にも平等にこの”重さ”がつきまとうものではないかと思う。
タイトルにある「推し」というのはここでは偶像崇拝する対象、
主人公のあかりが推したのは、アイドルグループ「まざま座」
あかりは真幸の「眼球の底から何かを睨むような目つき」
その「目つき」は、周りの大人は誰ひとり自分を、
推しか、死か。
炎上し、引退していく「推し」。
ピーターパンが大人になる、そのリアルの厳しさと距離の優しさ。実存の危うさ。
「推しは命に関わるからね」と、友人の成美があかりに言う。
推しを推すのは命がけの所業だ。
高校のクラスメイトに、現実世界の全てはTMネット
あの、あっちゃんの狂的な、全生命を賭す木根への忠誠、
そして、全生命を賭す何かがある限り、
ハイボールでフツカヨイの身に青春の日は遠いが、
重かったはずの胃も前頭葉も、今では黒子のように存在を消し、粛々と生命維持活動を続けている。感謝。